カトリック清水教会 Catholic Church of SHIMIZU


「東北復興支援ボランティア」  2014年5月16日 〜 5月19日 参加レポート

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2014年
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プロローグ

2013年5月、カトリック清水教会から復旧ボランティア活動に参加した方が何人かおられた。そのお一人である瀧さんの報告がずっと頭に張り付いていて、次回のボランティアには何としても一緒に連れて行って欲しいと思っていた。震災と原発に関しては、発生当初から現在も、あらゆる分野の方たちが様々な媒体を通して「思い」を発表し続けておられる。
「こんなことがあって良いのか!」を連発しながら、関連する文書を読んだ。

トシを考えれば、自分自身が援助を必要としている立場だ。笑われるのは覚悟の上。
力仕事は出来なくても必ず役に立つことができると励まされ、原発がどれほど非人間的なものであるか、実際に見て触れて私なりの報告を身近な人たちに伝えたいと思っていた。

実際に行ってみて、どうだったか。
私の予習は、全然、全く役に立たなかった。
原発事故に関しては、媒体を介したものは「伝聞」になってしまう。というのが実感だ。書物も記事も映像も音楽も、その人自身の事実ではあるけれども、すべてではない。
100人いれば100の感じ方がある。1000万人いれば、1000万の考え方がある。愚かでも軽薄でも深刻でも、それはみんな本当のことなのだ。

空は青く川が流れ、森が茂り、小鳥が鳴いて初夏の太陽が輝いて、何処までも広がる田んぼ。
遠くの方に、真っ白い砂浜が見える。そこにはクレーン車のような大型車が入り、瓦礫を入れた大きな袋が整然と並んでいた。除染のために埋めた海の砂であるらしかった。
走れども走れども、雑草の田んぼ。

「ボランティア活動」そのものは充実していたし、自分自身の中で細胞が若くなったような気配さえ感じる。被災地で暮らしている方たちだってチンヤリと背をかがめてはいない。
だからこそ、震災と原発の現場で、色も匂いも形も見せずに居座っている放射線を、自分の感覚で感じて欲しいと思った。

私たちが応募した東日本支援ボランティア「富士山グループの約束」を書き留めておきます。

 ◆期間=5月16日(金)〜19日(月)まで
 ◆参加=17人(清水教会からは7人)

【16日】岡村さんが所持しておられる「福島復興支援バス」が、朝6時30分に浜松をスタート。以下剿L田剌ト津剴本平で各地の参加者をピックアップして東北自動車道、二本松経由で原町ベースへ。途中、通行禁止区域などがあり予定よりもかなり遅れて到着。このバスが参加者のアシとして現地で活躍してくれました。

【17日】/【18日】は、原町ベースでのスケジュールに従い、社協を通じての支援活動。夕食前には岡村さんのバスで、温泉につかってのんびり。ベースに帰ってから、夕食、活動の反省と分かち合い。

【19日】帰路につく。

活動予定地・・・福島県南相馬市
宿泊地・・・カリタス原町ベース[カリタスジャパン(カトリック教会)がバックアップ]
活動内容・・・瓦礫・家具等の撤去作業・草取りなど。
参加資格・・・宗教・思想・国籍・年齢・性別は不問

かなりカリカリしながらパソコンに向かっていますので、気恥ずかしいような正義感があふれていますが、二日間の活動自体は、いつも通り。チャランポランで楽しく頑張ってきました。活動の様子は少し頭を冷やしてから続けることにします。


カリタス原町ベース


残された木


馬場

 
清水教会HPグループ K. 佐藤   
Photo: K. Sato   

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5月16日 (金)


私たち「富士山グループ」はカリタス原町ベースを拠点として、活動に参加することになっています。原町ベースから福島第一原子力発電所まで、距離は約25km。放射線の低線量被曝による健康被害については万人に通用する安全基準はありませんから、自己判断、自己責任でのボランティア活動です。



時間の関係で富士山グループのバスに乗れなくて 新幹線で東北へ向かいました。福島駅から最終バスに乗って、飯舘(いいだて)村を通り原町までの1時間40分ほどを移動します。整備された道路を街灯が照らし、空には満月が浮かんでいましたが、浪江町の広大な部分は帰還困難区域、居住制限区域で占められています。バスの窓に写る家並みや森がコマ送りのように消えていきます。家並みは残っていても家の窓に灯りはない。
イイダテ村を通過する間は、町が「生きている」気配がありませんでした。
長い無人の区間を過ぎると、闇の中に見慣れた「セブンイレブン」のロゴが浮かび、人の体温を伝えています。ぽつん、ぽつんと灯りが見えるようにはなりましたが、このあたりでは時間を区切って帰宅人もいるそうです。
私たちは原ノ町でバスを降りました。原町駅前の通りは、お迎えの車が数台通り過ぎてしまうと、音も動きパタリと止まる。体験したことのない空間でした。
程なくタケダさんが出迎えてくれて、ベースに到着したのは午後10時かなりを過ぎていました。
朝「富士山グループ」バスも各所の立ち入り禁止・通行止めなどで難儀をしたようで、床の中に入っている方は殆どありませんでした。


持ち物の整理をしていたら、50リットルのザックを背負った女性が部屋に入ってきました。長野からの飛び入りボランティアです。聞けば、週末を利用して何度か活動をされているとのこと。
若い女性が単独で復旧復興支援に駆けつけるの?! 感動した私は、大きなザックと女性をカメラに収めました。初仕事です。


写真とイラスト © K. Sato
  1.コバヤシさん


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5月17日 (土)


今日、最初にする仕事は、社協に出向きレクチャーを受けることです。
南相馬市小高区の会場(老人センターの看板が架かっていた)に集合したのは、佐賀、熊本、福岡など遠方からの団体も含め、総勢100人近いということでした。「やる気満々」の雰囲気は、学生運動部の遠征を感じさせました。
昨日から来ている方たちもいます。ボランティアは、総勢100人近かったようです。
この青年たちを見て、日頃からい抱いていた「近ごろの若者には期待できない」という私の偏見は、大いなる期待へと移りました。
頑張れ・青年諸君!


人々が集まると、必然的に挨拶という儀式が必要になります。正直なところ、私は挨拶の時間が退屈でしようがない。
コロコロした体つきをした地区の区長さんが、ボランティアの皆さんにご挨拶に見えました。
縄文の時代から続いている南相馬の歴史と戦国時代の武将たちが活躍したことなど歴史的な経緯から、相撲部で前さばきの名人といわれた身近な自慢話など、愉快なエピソードを交えて相馬の素晴らしさを話されました。

「私たちのふるさとはこの町しかありません。30年後だろうと40年かかろうと、子や孫たちに〈素晴らしいふるさとを残してくれてありがとう〉といわれるよう、頑張る」と、話を締めくくりました。
安心してこの地に住めるのが、どれほど先のことになるのかを考えると、区長さんの悔しさが身体にひびいて、「始まりの挨拶」に退屈することを忘れていました。


小高地区での今日の作業は「あすなろ交流館」の排水用溝掘削と雑草退治です。
責任者らしい女性が津波に襲われた様子と原発に関するこもごもを話してくれました。
肩よりも高くまで水が入り、それがひと月近くも引かなかったことなど、淡々と説明してくれたのですけれど、被災され方に質問をするのはとても難しいことです。
「はじめ私は泣いてばかりいました。それから、会社にハラを立て、原発を憎み、世の中を呪いました。けれど、ようやく〈皆さんの力を借りようではないか。前に向かって歩き出さなければ。〉、というところまで、考える力が戻ってきました」。
機織り作業の機械を示し、これからの計画や目標を話してくれました。遠慮しながらお話を聞いていた私たちの方が、背筋を伸ばさなければなりませんでした。


何組かの皆さんが、合同で作業に当たります。
男性や若い女性、元気あふれる高齢者は耕作道具を使って溝掘りを。女性はもっぱら草取りです。
作業にはチームリーダがついています。私たちは休憩時間をしっかり取ることを約束させられました。
富士山グループは中でも飛び抜けて高齢のチームでしたが、ドライバーの岡村さんをはじめ、若者に引けを取らない働きぶりでした。
本当です。


仕事開始から1時間半ほどで、リーダーが休憩の号令を触れて回ります。
力作業というのは不思議なもので、大勢の人と一緒に働いていると、殆ど疲れを覚えないものらしい。
区切りをつけたくて仕事を続けている人なんか、「休憩して!」 とリーダーから厳しい指摘をされたりして。


働いた後のお昼はおいしい。
コンビニで買ってきたお握りと、あすなろ交流館の方の心づくし・おいしいナメコ汁に舌鼓を打ちました。


列車のダイヤを狂わせた強風が、まだ居残っていたようでした。2時半過ぎには足元が揺れるほどの風が吹きはじめて、作業は中止になりました。
行き帰りの道ばたで、置き去りになった乗用車を見かけました。まだ、持ち主が発見されないのだろうということでした。


スタート地点の社協へ戻り、使った道具の泥を洗い流して物置に片付ました。それからベースに近い入浴施設に寄って、汗を流す、という段取りです。
昨夜は到着が遅くて、入浴は諦めなければなりませんでしたから、お風呂は嬉しかった。
とても混んでいましたが、のんびりとお湯に浸かっている時間は極楽・極楽。
カリタス原町ベースでは、シスターたちが食事つくりを担当してくださっています。
朝と夕食。手間と時間をたっぷりかけた、おいしい食事を整えてくださるのです。


今日は充実した一日でした。
お風呂に入って、おいしい食事を頂いて、それからちょこっとビールを飲んで、お休みなさい。


写真とイラスト © K. Sato
  2.レクチャー会場
  3.区長さん
  4.ここまで水が来ました
  5.側溝作業
  6.側溝作業
  7.働いたあとのお弁当はおいしい
  8.ゴシゴシ ゴシゴシ 水の中で道具を洗う


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5月18日 (日)


ボランティア活動は、社協がその手はずを決めるらしい。
作業に携わる人が何人いて、何処で誰が何をするのか。その日によって作業の場所などが振り分けられる、ということが分かってきました。
初めて参加して、分かったようなことをいうのも何だかな、と思うけれど、たぶん、そうなのではないかと思います。


宗教・思想・国籍・年齢には関わらず、というのが約束でしたから、ボランティアの輪に入っている間はマリアさまもそっとポケットにしまいます。
予定を確かめてから、原町教会まで出かけました。主日のごミサ(岡村神父さま)に与ります。


原町の教会は小さいけれど、雰囲気の良い建物です。入り口にはシンボルマークの大きな木があったそうですが、放射能をどっぷり浴びてしまったので切り倒され、裏庭に残された木に新しい芽が吹いていました。


教会のオルガンは具合が悪かったようで、ギターの伴奏で聖歌を歌いました。
ギターの響きが人の温かみを伝えて、清々しいごミサでした。


サァ、今日も頑張るぞ。


今日は、ボランティア初参加組と体験済みの人のグループに分かれることになりました。
体験済みの皆さんは民家の家屋を片付ける仕事。初参加組は午前・午後の二組に分かれて、ベースの駐車場整備と原発事故の現場見学です。
私は、[午前の部・見学]に手を上げました。
カリタスジャパン所有の乗用車で線量の高い地域を回ります。 私にとっては、これこそ本来の目的でしたから、気持ちが高ぶります。


午前の部のメンバーは4人。クリムラさんのクルマに乗って、線量の高い地域を回りました。
相馬野馬追いの馬場へ向かう前に、クリムらさんは放射線測定器で線量を測りました。 放射線量は距離よりも、地形や気象条件などによって濃度が違うのだそうです。ベースに常駐しているスタッフはボランティアの送迎、説明などで線量の多い地域へ外出しますから、線量の数字には敏感です。クリムラさんは車外に出る度に、手にした計測器で数値を測定していました。


私には是非とも記録に残したい場所が、あちらにもこちらにもありました。
線量の高い地域では5分以内に戻る約束で車外に出してもらって、小走りに場所を移してシャッターを押しました。


常磐線の不通区間は雑草で覆われて、レールが見えませんでした。
これは小高駅の自転車置き場。放置されている自転車です。
女子高校生が通学に利用していた自転車でしょうね。荷物カゴに絡まったツタの上に、新しい芽がかぶさっていました。


「希望の牧場」と名付けられた牧場は、福島第一原発が肉眼で見える距離にあります。牧場主は「放射能に汚染された家畜は全頭殺処分」の指示を蹴り、「牛飼いが牛を殺すことは出来ない」と、経済価値も何もない牛たちと運命を共にする決意なのだ、と、ブログに書いてありました。
仔牛も何頭か生まれているようです。判断の基準が分かりませんが、赤ちゃんらしくない仔牛でした。


津波に壊れたままの家が放置されています。ここでは、津波の怖さを肌で感じました。
3年たって、道路や公共の建物は立派に整っていますが、まだ人が入ることが出来ない地域がたくさん残されています。


午前中の見学では、津波と原発でぐちゃぐちゃになった町の姿を見ました。
何をどう考えて良いのか、私は頭も心もすっかり混乱していました。


帰り道は、遙か向こうまで、人かげも車もない道路を走りました。車が通ってもいないのに、進入禁止区域の何カ所かで警察官を見かけました。泥棒がいるのだそうです。
避難した方たちの家に入り込んで、価値のありそうな家具調度を持ち出すらしい。禁止区域なら、やりたい放題、気楽に大仕事が出来ますもの。
考える余裕はおろか、ハラを立てる気力さえなくなった。
この日の昼食は何処で何を食べたのか、記憶はすっかり消えています。


ぐったりしてベースへ帰ったら、駐車場が見違えるほど整備されていました。
「見学・午後」組の皆さんが午前中、草取りに励んでくださったのです。
庭整備の道具も揃えてあり、花壇にはおしゃれな柵まで立っていました。午後は、垣根に柘植(つげ)の苗木を植える計画です。
早速、工具を手に労働に着手。
気持ちが高ぶっているから、力任せにツルハシを振り上げて工事人の気分でした。
駐車場の石を取り除いたり柘植の苗木を植えたり。バリバリ力仕事をしました。高齢者といえども腰抜けではないことを証明しなくては。
垣根の柘植が、来年はどれくらい大きくなっているか。とても楽しみです。


作業は今日で終わり。明日は清水へ帰ります。
夕食後に、ミサンガの編み方を教えてもらいました。


写真とイラスト © K. Sato
  9.ルルドのマリア
 10.原町教会に残された木
 11.ギター伴奏で御ミサ
 12.小高駅の自転車
 13.餌を噛む牛
 14.壊れた家
 15.立ち入り禁止区域の道路
 16.柘植の苗木


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5月19日 (月)


今日も良い天気です。
仮設住宅の広場でラジオ体操をしました。
かけ声に合わせ、手足腰肩、全身を真面目に動かして、いい汗を流し、朝のお祈り。朝ご飯がおいしい。


たった3泊しただけなのに、コバヤシさんもシスターもヒロキさんも、ずっと前からのお友達のようでした。 
私はコバヤシさんに、編み上げたばかりのミサンガをもらった!


みんな、私たちのバスが見えなくなるまで手を振っていました。
来年もまた、きっとお会いしましょう。


帰りのバスの中、前の座席から岡村神父さまのつぶやきが聞こえました。
「オレは毎日祈るばかりだった。四日間で4年分のお祈りをした。」


本当に、福島の原発事故を至近距離から見たなら
「祈る」 以外、私には何が出来ただろう。
祈ること。祈りがマリアさまに届くように。
深く考えさせられた岡村神父さまのひと言でした。

清水教会HPグループ K. 佐藤   


写真とイラスト © K. Sato
 17.ラジオ体操開始を待つ
 18.やったァ!


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